コロナ禍以降、私の勤務先の高齢者施設でもオンライン面会または、窓越しに顔を合わせて携帯で会話をするという非接触スタイルがとられている。
先日も日差しの強い午後、窓の外から、室内の母親と携帯で話しながら窓越し面会をされている夫婦がいらした。
「母さん、もうすぐ敬老の日だから、何か欲しいものあるかい?」
いつもの光景ではあるが、家族と離れ、施設で過ごされている女性にとって、その声かけはどんなに嬉しいものだろうと想像した。
おそらく、施設職員は丁寧に身の回りのお世話をしてくれるだろう。3回の食事に、温泉浴もでき、暖かい布団で眠ることもできる。生活に不自由はないのかもしれない。
でも。
女性の長い人生において、私たちは今の女性しか知らない。
在宅生活の方でも
いつもズボンを洗わず繰り返して履くため、尿臭がする方がいる。なぜ?
よそ行きの服はクリーニングに出すものだから、洗濯機でなんて洗えない。いつかクリーニングに出さなきゃね。
夕方になると近所の酒屋付近まで一人で出かけてしまう方がいる。なぜ?
娘が三人いるから、学校からの帰りが遅いと心配で迎えに行くのよ。
今を切り取ると問題行動と捉えられるが、それらの行動には過去の経験から来るちゃんとした理由があることが多い。その理由に辿り着いた時には、お互い笑顔になり、推理小説の謎が解けたような爽快感にも似たものがある。
でも。
しっかりと向き合って、話を伺い、信頼関係を築いた上でのこと。なかなか困難な作業ではあるが、在宅のケアマネジャーとしては、唯一やりがいを感じられる部分かもしれない。
でも。
色々なお客様の自宅に伺い、今までの人生を共有し、これからの生活を一緒に考えさせていただく。この仕事に就いて、高齢女性の一人暮らし率が高いように感じる。夫を先に見送り、色々な思いを抱えながらも、皆同じように繰り返し朝を迎え、今日が始まる。
今は子育てと仕事で手いっぱいであるが、いつかまた気の合うパートナーと出会えればよいなと思うこともある。
でも。
女性らを見ていると、また誰かを好きになっても、また一人になることの寂しさが勝るようになり、気ままな1人で過ごしてゆくのも悪くはないと思っている。今の私は。
女性らの人生を共有する過程で、どっぷりとはまってしまい、苦しくなることも多い。それでお腹いっぱいになり、自分の人生を翻弄されているのかもしれない。