ケアマネの私とオフの私の日記

書くことで気持ちの整理をしていきたい。。

害獣③「勝手にしやがれ!!」

アナグマと共存の道を選んだ昭和一桁生まれの彼女。

10数年支援に入っているヘルパーさんから、「これ以上、支援に入れない。私しか支援に行けないし、いつアナグマに襲われるかわからない、虫には刺されるし、いくら私が掃除に行っても、アナグマが散らかしたものを掃除しており、本当は買ってはならない猫の餌も、当初の彼女の圧力に負けて買ってはいたが、結局アナグマに食べられ、アナグマの支援をしているようなものだ。もう、限界・・・」

と事態は最終段階に入った。

 

どこかで、行政は強制的に解決してくれるだろうと思っていたが、保護課も保健師も訪問はされるが、本人の意向がなければ強制的に何もできないという。民主主義・・・。

 

確かに、彼女の希望は「ここで死にたい」。

 

そこに至るまで、そこに至っても責任問題が発生する。彼女に関わった者は皆、責任は問われたくない。それが本音かもしれない。

 

さて、ケアマネジャーとしてどうすべきか・・・。

 

彼女の意向が第一と思い支援してきたが、それは介護保険制度を利用して行う支援であったのか?いや、ただの理不尽な彼女の我儘とも思える。ならば、現状をしっかり彼女に認識してもらった上で、彼女の意向に沿って次の手立てを提案するしかない。いつも大事なところで、寝たふりをされ、彼女の思うがままに事が進み、アナグマは住み着いて子供まで増えている。もう誰もが限界を感じていた。

 

彼女の方も、数日前に初めて民生委員さんへ電話をし「アナグマをどうにかしてください」とSOSを出していた。その際は結局「戦います」で進展はなかったが、彼女自身も限界を感じているのではないか。だが、プライドが邪魔をして素直に「助けて」が言えないだけではないか。

 

妹さん、民生委員さん、ヘルパーさん、ケアマネが集まり、彼女の説得に向かった。

 

妹さんは、荒れ放題の室内に入ることさえ拒否。「窓から話します」と言う。他3名は足袋を装着し室内へ入った。片づけても片づけてもアナグマに散らされる部屋は、ごみが散乱し、とても人が住める状況ではない。(彼女にとっては本当に居心地がよいのだろうか?)この8月の猛暑の中、エアコンはなく扇風機のみ、床や天井、壁も破損し風通しは良いが、熱中症にならないのが不思議だ。数分で滝のように汗が流れおちる。

 

まずは、ヘルパーさんから語りかける。

「もう、いくら私が支援してもアナグマに荒らされて、この状況では今後支援に入るのは難しいです」

「○○さん(ヘルパーさん)は私が嫌いになったのですか?それとも猫が嫌いなの?」

「そうじゃないですよ、それならもうとっくに来ていません。もう支援に入れないんです」

「はぁ?どういうこと?」

 

話にならず、民生委員さんにバトンタッチ。

 

「○○さん、毎晩アナグマに襲われて大変でしょう。もうここに住むのは難しいですよ。施設に入りませんか?」

「・・・」

寝たふり。

 

前回の保護課の方々との訪問時同様、聞きたくない話は聞こえないふり、都合が悪くなると寝たふり。窓から妹さんが箪笥をドンドン叩いて

「姉さん、そんな無様な格好で恥ずかしくないの?ちゃんと話を聞いてよ」

と叫ぶも微動だにせず、ケアマネにバトンタッチ。

 

「大事な話です。お返事をもらうまで帰りません」

「この泥棒が!!箱を返せ!それが先だ!お前の話なんて聞くもんか!」

「ヘルパーさんの大事な話です」

「なぜ、妹まで連れてきた!?」

「○○さんがお話を聞いてくれないからです。私がお呼びしました」

「あぁぁ、うるさい。お前の話なんか聞かん。なんでここに来るんだ」

「では、私以外の担当者なら話を聞いてくれますか?」

「・・・」

寝たふり。

 

「起きていますよね?こちらの話も聞いてください。この状況ではヘルパーさんは支援に入れないんです。どうされますか?買い物などできないとお困りですよね?ここに住み続けるのは、何の支援もなければ難しい状況かと思います。保護課と連携して施設入所という方法もあります。ご飯も出るしお風呂にも入れます、ゆっくりできますよ。ここにいてはアナグマに襲われるかもしれず危険です。施設に入りませんか?」

「・・・」

寝たふり。

 

このやり取りを数十回繰り返し、次第にこちらの声も大きくなる。

 

「聞こえますか?お返事もらえるまで帰りませんよ。」

 

途中、窓の外から妹さんが語りかけるも寝たふり。しかし、眼球は動いている。ちゃんと聞こえているはずだ。いつもこの状況でこちらが引き下がり、進展はないが、今日こそ結論を出さねばならない。ここにいる全員、そして本人のために。こちらがひるんでいては何も解決しない。そう腹をくくって、閉じている目をじっと見つめて、できるだけ冷静に、そして低く大きな声で語り続ける。少しでも迷いがあると、彼女に見透かされそうで、本来のケアマネジャーとしてはあるまじき行為かもしれないが、本気で語りかける。

 

「このままこの状況では厳しいですよ。施設に入りませんか?」

 

勝手にしやがれ!!」

 

勝手にしやがれって、もう勝手にしましょう。施設に入るようにしてください。よい返事をやっともらえました」と窓の外から妹さん。

「そうですよ、3人聞いてましたから、勝手にしやがれって言葉尻でも意向を確認したということですよ。施設入所を進めましょう。私も明日、保護課に連絡しておきます」と民生委員さん。

「よくやってくれました。確かに勝手にしやがれと言いましたからね」とヘルパーさん。

 

「施設に入る方向でよいのですね?勝手にしますよ。もし、嫌なら今、そう意思表示してださい」

「・・・」

「分かりました。保護課と連携して施設入所で進めていきますね」

 

汗だくになりながらの数十分にわたる面談。果たして、これでよかったのだろうか?

彼女の「ここで死にたい」という意向にに沿えないのは、ケアマネジャーといえるのだろうか?

いや、「ここで死にたい」のなら、猫やアナグマ対策などこちらの提案も受け入れてくだされば介護サービスは継続でき、ここで死ぬことはできるかもしれない。彼女の意向彼女の我儘の折り合い。その妥協点・・・。妹さんの思い。民生委員さんの思いや介護サービス事業者の立場、行政の責任問題。やはり、民主主義といっても、本人の自由がそのまま実現できるわけではないのかもしれない。一人で死んで、死んだあとのことも一人ではできないのだから。でも、そこを決めるのは決してケアマネジャーではない、あくまで支援する立場ということを忘れずにいたい。

 

自問自答しながら、次は保護課と施設の選定に進む。