ケアマネの私とオフの私の日記

書くことで気持ちの整理をしていきたい。。

 救急搬送

「まっすぐ歩けなくて左に行ってしまうのよね。ま、様子をみてみるわ」

 

意識もしっかりしており、立位も問題ない。もう高齢だし、歩く時だけ左足が上がらなかったが、他に症状もなくただ疲れているのだろうと思っていた翌日のことだった。

 

「今日は歩けなくなった。明日、病院へ連れて行って」

 

仕事から帰宅すると、普段は頼ることのない母からの言葉に異変を感じ、祝日の夜間帯ではあったが近所の総合病院へ電話をした。しかし、急患を受け入れた直後で、診察は何時になるかわからない、夜間救急センターへの相談をとの返答。夜間救急センターへ連絡すると、救急車を呼ぶようにとの指示。

 

救急車なんて想像もしていない状況に戸惑いつつ、119番へ連絡。ほどなくして救急車が到着し、救急車内で問診を受ける。

 

「おそらく脳梗塞だと思います。一番近くても〇〇病院になりますがよろしいですか?」

 

コロナ禍にもかかわらず受け入れ可能との返答に安堵する。ストレッチャーに乗せられた母は固く目を閉じ、この状況に恐怖を感じていることが伝わってくる。母の体をさすりながら、救急隊の質問に答えた。

 

「娘さん、一緒に乗っていってもらってよろしいですか?」

 

同乗しても帰りの手段はなく、迎えに来てくれる人もいない。これまでも仕事で同乗した際のことを思い出し、後ろから追いかけることにした。

 

同時間帯に3台の救急搬送があり、患者を受け渡す救急入り口を横目に、走った。夜間でも窓口は開いており、諸手続きを行う。待合には若い子連れの母親と私の二人だった。とても寒い日で人気がなく、寒さも増して感じた。家に残した来た子供らのことも気にかかる。

 

「右の脳梗塞ですね。発症後1週間ほどは状態が変動しやすいので、血液サラサラの点滴治療をしながら様子を見ます。その後リハビリ転院になるかと思います。・・・」

 

MRIの画像には右脳に白い大豆のような塊が映っていた。これは、一人で受け止めるのはなかなか辛い。もっと早く病院へ連れて行けばよかった。あの時、電話して無理しないように言えばよかったと、後悔の念に押しつぶされそうになりながら、現状を受け止めようとMRIの画像を写真に撮らせてもらった。

 

処置室の母とは入院前、ここが最後の面会の機会となる。コロナ禍のため、一度入院すると退院時まで面会できない。

意識はしっかりしており、少し言葉がおぼつかないが、入院することもしっかり分かっている。痛みがなく、点滴治療のみで手術がないのも、怖がりの母にとっては救いだった。とにかく、早々にリハビリを頑張って、気持ちをしっかり持つように念を押し看護師さんへ引き継いだ。

 

夜勤の若い看護師さんから治療計画の説明を受け、手続きを済ませる。コロナ禍で大変な時に、祝日の夜間に受け入れていただき感謝でしかない。病院にいれば観察を受けられるし対応くださり安心だ。

 

帰りに入院時の必要物品の書類を見ながら、買い物を済ませる。車で来てよかった。

 

心配と後悔と不安との狭間に、冷静な自分もいた。

嘆いても仕方がない、今を生きるしかない。

できることをするしかない。