映画やドラマ、小説は伏線が張られているほど見ごたえ、読みごたえがある。
それらは、書き手が意図して張った伏線であり、ゴールを見据えて、ゴールから遡って、ゴールにたどり着くための展開ともいえる。
伏線に気が付き、次の展開を予想するのもワクワクするし、推理小説などすべての伏線がつながったとき、感動すら覚えるかもしれない。
そんな伏線が、人生にも存在するような気がしてきた。
仕事とは全く関係のない若い頃のバイトの経験が、今の仕事に役立つことがあったり
当時は袋小路で未来なんてないと思って手伝った自己破産の経験が、他の人の支援に役立ったり
何の意味があるのかしらと思いながら作成した媒体が、後の参考資料になったり
その時は、何の因果関係もなく、あるいは仕方なくしていたことが、後に活かされる場面が多々あることに気が付いた。そういえば、あの時、似たようなことがあったっけ、今この状況に応用できそうだなとか。一度経験しているから、あたりを付けやすいというか。点が線になっていくというか。
40年以上、あてもなくフラフラと進んできたと思っていたが、世間でよく言われるように、人生に無駄なことなどないのだと、今思える。
日々の暮らしに、もっと言えば自分の人生に伏線が張られているような気がしてならないのだ。
一体だれが伏線を張ったというのか?
そう感じているだけで、ただの偶然な出来事なのかもしれない。
でも
伏線が張られていると思って過ごすほうが、なんだか少しワクワクするというもの。
人生の終わりが近づいたころ、すべての伏線を回収することができたら、満足して生きごたえがあったといえるのかもしれない。人生の最期に感動を覚えることになるのかもしれない。