ケアマネの私とオフの私の日記

書くことで気持ちの整理をしていきたい。。

記憶の中のアメリカ1人旅そして今

飛行機が斜めに傾き

着陸が近づいたとき

その窓には

赤茶けた広大な大地が広がっていた

 

本当にこんな地面の色をしているんだ

 

19歳

1人アメリカの親戚宅を訪ねた

 

戦後の移民政策で

遠い親戚が何組か西海岸に移住していた

ほとんど付き合いはなくなっており

二世三世に代替わりする中で

これで最後かもと

親を説得し

1人訪ねることにした

 

海外には憧れがあった

ビデオを借りては

洋画ばかり観ていたし

できることなら

アメリカに住みたいと思っていたから

 

親戚はサンフランシスコで

日本の商品を扱う

スーパーマーケットをしていた

ほとんど面識はなかったが

遠い親戚ということで

快く滞在させてもらった

 

スーパーではメキシコ人に交じり

オベントウ作りの手伝いをさせてもらう

片言の英語と身振り手振りで

コミュニケーションを図った

皆一様に

何とも楽し気にオベントウを作り

こんな私でもすんなりと受け入れてくれた

 

親戚の同い年の女の子とその友達に

夜はボーリングに連れて行ってもらった

オープンカーに乗り

音楽をガンガンにかけて

ハイウェイを飛ばす

 

自宅は大きくて

バックトゥザフューチャーに出てきそうな

住宅街そのもの

ガレージには自動シャッターがあり

隣家までも遠く道路も広い

道路から家までは緑の芝生が敷き詰められ

室内に大きな犬を飼っていた

スーパー経営で成功している

お金持ちの日本人そのものだった

 

自宅では日本語を使っていたが

No!

だけは英語を無意識に使っているようだった

 

スーパーつながりで

文通でアメリカ人と結婚した

ある女性と仲良くなり

ゴールデンゲートブリッジに連れて行ってもらったり

ホームパーティーにもお邪魔した

国際免許は取っていなかったが

ハイウェイを運転させてもらったりした

 

地元のスーパーは

日本のそれとは桁違いに広く

牛乳もオレンジジュースもお肉もお菓子も

とにかくデカい

 

ディナーに行った店では

平日なのにディズニーランドに来たような演出

料理の量もすごいものだった

 

たまたま産業祭のようなイベントを開催中で

大きな倉庫で古着が大量に売られ

屋外では簡易式のメリーゴーランドや

小さな観覧車が回っていた

まさに地元の行事といった感じで

もう気分はアメリカ人だった

 

数日間滞在し

国内線でロサンゼルスに向かった

ガーデナーをしている親戚を訪ねるため

 

空港まで迎えに来てくれており

特に迷いもなく到着

 

国内線はもちろん現地の人ばかり

飲み物を尋ねられ

前列の人を真似て

覚えたての

セブンナップ

と答える

正確には7UPという炭酸飲料のことだった

 

夏休みの時期であり

直射日光で肌が痛い

 

ロスでは

日本人街に連れて行ってもらった

街中は場所によっては治安が悪く

絶対に窓を開けないようにと

念を押される

 

ロス中心部に向かうハイウェイで

ドアとボンネットの色が違う車が目につく

どうやら

お金がなくて違う車のものを

くっつけているらしい

 

親戚宅は住宅街であったが

誰一人外を歩く者はいなかった

 

ショッピングモールでは

急に停電が発生

特に珍しいことでもないらしい

 

親戚の叔母は

日本人留学生の斡旋の手伝いもしていた

 

ロスに来る大抵の語学留学生は

日本人だけと群れて

遊んでばかり

運が悪ければ

悪い薬を覚えて

ダメになっていくのよ

ロスはやめておいた方が良いわよ

 

ろくに英語も話せない状態で

よく旅立ったものだ

そこは日本と特に大きな違いもなく

長居しても

その時の私には得るものがないように感じた

 

何とかなるもんだなぁ

 

自分の目で見て肌で感じることができて

何だか留学への諦めがついたな

なんて考えながら

帰りのサンフランシスコ便に搭乗する

 

国内線の乗り方も覚えて

飲み物はもちろん

セブンナップ

 

無事に到着しゲートを出た

そこに迎えに来てくれるはずの親戚の姿がない

しばらく待っても

皆、出迎えに来た者と一緒に帰路につき

1人残された

 

どうしよう・・

 

とにかく縦に長い空港だった

受付を探し当て

空港内の呼び出しをお願いする

 

何とか通じて

呼び出しの放送をしてもらうが

 

can not find・・・

 

どうしよう・・

 

じっとしていられずに空港を出て

公衆電話を探した

電話の掛け方が分からない

コインを先に入れても

つながらない

 

近くの清掃員のおじさんに尋ねて

コインを手渡し

電話をかけてもらったが

呼び出しに出られない

 

住所は分かる

もうタクシーで行くしかない

 

そう決心し

タクシーに乗ろうとしたとき

親戚が探し当ててくれた

 

ほっ・・

 

またアメリカに来るつもりで

ほとんど写真は撮らなかった

もしかすると

私の記憶は曖昧で

事実と異なって記憶しているかもしれない

 

一つだけ

思い続けていることがある

 

それは

自分から行動しないと誰も助けてはくれない

勇気を出して

自分からHelp!声を出し助けを求めると

必ず誰かが耳を傾け手を差し伸べてくれるものだ

 

空港で迷子になった時に

そう感じた

その感覚は今でも変わらず持ち続けている

 

 

だいぶ前に退職された上司が

たまに

ボランティアで職場に来られていた

ここ数か月は

噂によるとご家族の介護で多忙となり

姿をお見掛けしなくなっていた

 

数日前

久しぶりにお会いすることができた

当たり障りのない世間話をし

去り際に

 

あの

ごはん100gって何キロカロリーですか?

 

と尋ねられる

その場でさっと答えて深くは尋ねなかったが

その顔は

どこか疲労感がにじみ出ており

何か抱えておられるように感じた

 

どうも引っかかってしまい

ごはんのカロリーや栄養についての資料を作成し

帰られる前にそっとお渡しした

 

実は

私も家族もちゃんと食事管理をして

元気でいないとと思ってですね・・

 

そうなんですね

何かお悩みがあられるのではないですか?

そういう時はどう解決されますか?

何かしらアクションをとられます?

それとも

じっとしておられますか?

 

私は

とりあえずできることだけして

時が過ぎるのを待ちますかね

時間が解決してくれますから

ストレスも大変ですよね

あなたも

ストレスをためないようにね

 

そうですね

ありがとうございます

 

事情は伺わずとも

どこか心が通い合った気がした

 

 

元気でいないとと思ってですね・・

 

元気があれば何でもできる

とは

良く言ったものだ

 

とりあえず

健康な体で元気があれば

何の問題もないし

どうにかなるものだ

 

だから

どうか

身体に気を付けて

元気でいてほしい