satoimo's diary

人生も折り返し地点を過ぎた。自分を大切にするためには...

可視化&数値化

心臓の大手術を受け、現在自宅療養中の80代女性。最近になって、術後の痛みが増強し、左背部から胸にかけて、鋭利な刃物で繰り返し突き刺されるような痛みがあるという。その痛みがある際には、会話もままならず苦悶の表情となり背中を丸めてじっと痛みが去るのを待つのみ。

 

「こんなに痛いなんて。見た目には分からないから、何と伝えようもないのですけど、手術なんてしなければよかった。あぁ、この痛みを他人にも分かるように、見えるようにできれば良いのに・・。決して怠けている訳ではないのよ。」

 

確かに、痛いのだろうと想像することはできるが、経験したことのない者はその本当の痛みは分からないし、人によって痛みの感じ方も各々、言葉では表現できない方もいる。こちらは、想像の域でしかない。その、想像することが、私たちの仕事の神髄なのかもしれないが、もし痛みのレベルが目に見えて数値化され、共有できるとしたら、もっと良い支援ができるのだろうか?

 

何かのCMで、頭の中で考えていることが目の前に映像として現れるというような場面があった。少し前の映画では、目の前にあるもののデータが映像として空間に映し出される場面もあった。VRは身近なものになり、排泄検知超音波センサーの実用化も始まっている。感情の可視化も。

 

スマートウォッチでバイタル測定するように、痛みのレベルを数値化し、誰にでもわかるように表現できるとしたら。ボタンを押すと、その人の前の空間に痛みレベルの数値が表示されても良いし、Wi-FiBluetoothにより事業所のPCやタブレットで確認できるのも良い。それらを家族や主治医とも共有できるとしたら、痛みレベルデータをリアルタイムで分析できるとしたら、想像しただけでも、こんな便利で効率的な事はない。プライバシーの問題は棚の上に置いての話ではある。

 

そう遠くない話かもしれないし、もしかすると既に存在するかもしれない。痛みの可視化&数値化。(ネット検索してみると、海外では疼痛計測器があるらしい。もう存在していた)

 

色んな情報が表示されるのはとても便利な事だが、ややもすると、それは人間の想像する力、考える力の衰退を招く可能性があるようにも思う。

 

目に見えないから想像して、相手の立場になり考える。

分からないから想像して、自分ならどうするか考える。

 

それが、全部可視化&数値化により分析までされて表示されるとしたら。

 

時間短縮になり、とても便利にはなるだろう。

 

熟練大工職人や、料理人等の匠の技、それらも、どんどん数値化されていく。誰がしてもできるようにマニュアル化&標準化されていく。やがて、人間の思考は不要となりAIが支配していく。なんてSF映画のような世の中も、そう遠い話でもないのかもしれない。それが、良い、悪いは別として。

 

便利さを得る代償として、失われてゆく何か。

 

かつての人間がそうしたように、自然破壊など招くことがないように、AIとの共存の道を探る必要があるのかもしれない。そこには、やはり想像力が必要だ。こうすれば、どうなる。相手の立場になり、自分ならどうするか考える。