satoimo's diary

人生も折り返し地点を過ぎた。自分を大切にするためには...

友達

ダブル受験を経て、中高の卒業式も終え、彼らもいよいよ大学生と高校生になる。

 

長い春休みは、彼らと共に過ごす時間が増えた。

 

いつの間にかこんなに大きくなったのかと、感慨深くもあり、意思を持った一人の人として話ができるようになり、とても嬉しく感じる。

 

自分が彼らの年代の頃へタイムスリップした感覚もあり、一緒になって古着屋を回ったり、ご飯を食べに行ったり、今まで反抗期もあり離れていた距離が、一気に縮まったようでもある。

 

息子が唇にピアスをあけてきた時には、世も末かと思ったがTPOではずすこともできれば、目くじらを立てることでもないのではないか。

夜ご飯にも帰ってこずに、早朝に帰宅しても、先輩の車でドライブに行っても、無事に生きて帰ればいいじゃないか。

自分も学生時代はそのような生活をしていたことを思い出す。

 

友達と夜な夜なカラオケを巡ったり、思い立ってレンタカーを借りてぶどう狩りに行ったり、楽しいと思うことを躊躇なく、即行動に移していた。ちょうどポケットベルからPHSが主流になる頃で、携帯を持ったのは就職する頃だったと思う。

 

今の彼らは、スマホは当たり前。クラスラインに、インスタ共有し、投票でクラス会の出欠を取る。オンラインゲームは自宅にいながら友達とつながり、コロナの影響で集まって遊びにいくことはほとんどなかったが、SNSで繋がっている。

 

コロナも落ち着き、マスクを外せる時が来て、ようやく友達と遊びに行ける春が来た。そんな時、息子に言われた一言だった。

 

「お母さん、友達いないもんね」

 

確かに。

 

子育てに邁進し考えたこともなかったが、ちょっと遊びにいこうと誘える友達はいない。彼らのように、ラーメン食べに行こうぜと言える友達も、もちろんいない。もっというと、夫もいない。何かを分かち合う相手もなく、決断は自分一人でしている。「主人が言うので◯◯です」何て言われると、自分のことなのに責任逃れをしているようにしか思えなかった。

 

友達について考えてみた。

 

彼らからも常々「お母さんは変わっている。他のお母さんのようにお喋りすればよいのに」とか「普通の親なら良いって言わないよね」等言われても聞き流していたが、どうやら私は一般的な方々とは違う基準の中で生きているようだと気がついた。

普通の結婚もできなかったし、ママ友も、もちろんいない。人付き合いも煩わしく感じることもあり、一人でいる方が楽だったりする。学生の頃のような友達付き合いができれば楽しいが、ライフスタイルも変わり、そうもいかない。仮に今友達ができても、自分の生活リズムのなかで、一緒に遊べる時間を確保するのは至難の技。

 

私、ちょっとおかしい。

 

それを自覚し、彼らにも「お母さん、友達いないのよ。ちょっとおかしな人だからさ。申し訳ない」と自認したことで気持ちが楽になった。

 

敢えて友達を作らないわけではなく、自分のような人に出会わないからだと思う。どこかにいるのかもしれない、気の会う友が。