「何かあったら、何でも言ってくださいね」
利用者様宅からの帰り際、口癖のように言っていたかもしれないこのフレーズ。改めて無責任に発した言葉の重みを知ることになる。
退勤時間を過ぎ、帰り支度をしようとしている時だった。普段、ほとんど関わりのないお弁当の配達員さんが事務所の入り口から顏をのぞかせ「ケアマネさんの部屋はここですか?」と恐る恐る訪ねてこられた。
聞けば、夕食のお弁当を取られている一人暮らしの女性から「声が出ないから、どうしようもない。もう死にたい。ケアマネさんにも電話をしようかと思ったけど、電話もできない。このことを伝えてほしい」と泣きながら頼まれたという。「ケアマネさんがまだいたら伝言しておきますと女性には言いましたが、確かに伝えましたからね、よかった」と配達員さんは帰って行かれた。
女性は心療内科に通院されており、定期的に気分の落ち込みがあり、女性自身もその認識はお持ちだ。今日はヘルパーが訪問しており、明日は長男さんが買い物のため訪問する曜日。精神的なものだと推測はできる。今すぐに動く必要があるだろうか、ケアマネが動いたところで何の足しにもならない気もする。正直、勤務時間を過ぎており、一刻も早く帰宅したかった。
でも、このまま何もせぬまま帰宅することは、さすがにできなかった。女性は過去に自殺企図があり救急搬送された経緯もある。電話で確認したいが、声が出ないのではそれも不可能。何が起こっているのか?配達員さんからバトンを渡されたからには、訪問して状況確認するしかない。
夕暮れ時、帰宅する車に混ざって公用車を飛ばし女性宅に向かった。
結局、数日前に声が出なくなり、自分で大きな病院を受診し、服薬するもよくならず、耳鼻科を受診し点滴を3本打たれ、明日も点滴予定。対面の会話で聞き取りはでき、近所の方や長男さん、親類や主治医にもこの状況は報告済。何かをしてほしいわけではなく、この状況を報告したいと伝言を依頼されたようだった。
1時間ほど傾聴し、落ち着かれた。女性はどうすべきか、答えはいつも自分でわかっておられるが、それで大丈夫と背中を押して認めてほしい、そんな気持ちを感じられる。
帰り際、「ケアマネさんが、何かあったら何でも言ってくださいねって言われていたから、ケアマネさんにも報告しておかないとと思って、お弁当の配達員さんに頼んだところでした。遅くなってごめんなさいね、ありがとう」と女性。
辺りはもう暗くなっていた。
確かに、私、口癖のように「何かあったら何でも言ってくださいね」と言っていたかもしれない。何かって、その範囲は人各々。女性にとっては、この状況が何かだったのだ。ケアマネ視点での何かとは相違があるということだ。自分で自分の首を絞めていたことに気づいた。そう、女性は何も悪くない。むしろ、何でも伝えてくださって感謝せねばならないのに。
自分の不甲斐なさに落胆し反省する日となった。大変申し訳ない。