satoimo's diary

人生も折り返し地点を過ぎた。自分を大切にするためには...

西の魔女が死んだ

インフルエンザで寝込んでいた際、3日ぶりにテレビを見る気になり、録画していた映画「西の魔女は死んだ」を見た。

 

ざっくり言うと、登校拒否となった孫娘が、緑豊かな地に一人で住む外国人で実は魔女でもある祖母宅に預けられ、ジャム造りなどを通して魔女修行をするという話。

 

もう一つのテーマが「死」なのだと思うが、人が死んだらどうなるのか?これはおそらく永遠のテーマで、特に子供たちにとっては恐怖でしかない。また、大人たちにとっても、死んだことなんてないのだから分かりようもない。また、年代によって、「死」に対する認識も変化していくのだと思う。

 

映画では、体と魂は別々で、体は死んでも魂はどこかで生き続けると祖母が孫娘をなだめ、祖母が亡くなった日、孫娘あてに「ニシノマジョカラヒガシノマジョヘ オバアチャンノタマシイ ダッシュツ ダイセイコウ」とメッセージが残されていた。

 

かくいう私も死ぬのは怖い。というか、痛かったり苦しむことが怖い。死ぬのは当たり前のことで仕方がないことで、逆に永遠に生きていたくもないのだが、やはりどこか他人ことのような気もしていた。

 

この映画を見ていた時は、まだ熱もあり意識が朦朧としていたのだろうが、子供たちも自分で自分のことができるようになったし、もういつ死んでもいいかなと思った。子供たちが各々幸せに暮らすことができるようになったら、もう何も悔いることはない、満足感さえ感じる。18年前、長男を生んだあの日から、母親としての人生が始まり、その母親としての責務を全うできたならば、もういいかなと本気で思った。消えてなくなってもいいかな。痛さや苦痛さえなければ。

 

一方では、こんなおばあちゃんになりたいなとも思った。太陽とともに起きて、庭の野菜でサンドイッチを作る。好きな時にクッキーを焼き、ハーブティーを丁寧に淹れる。丁寧な暮らし。

 

そうか、母親業が終わったら、こんなおばあちゃんになろう。孫の顔も見たい気もするし、自分の好きなように生きてみたい。子供の頃はお母さんになりたいと思っていたが、次はおばあちゃんになることができるんだ。

 

毎日仕事に追われて、自分の心の声を聴くことなんてできなかったが、インフルエンザのおかげで、体が弱って気持ちも弱りかけた時に、まだ心の灯が消えていないことが分かった。離婚も経験し、不完全な人間だと後ろめたさもあったけれど、子供たちが成人すればひとり親と言われる機会もなくなるだろうし、また一人の人間として生きていける気がした。