夫に先立たれて40年以上が過ぎ、二人の息子は高校卒業と同時に家を出て都心の大学へ進学、共に外資系企業に勤め帰省は年数回ほどだろうか。二人とも家庭を持ち、孫にも恵まれる。女性の二人の兄はもうおらず、唯一地元に残る甥っ子が、息子に頼まれ様子伺いに来られていた。
女性は、腰の痛みはあるものの、毎日自分で食事を作る。短大で栄養学を学び数年、都内に勤務されていたらしい。余った料理のストックはタッパーに保管し冷蔵庫に保存。台所もきちんと片付いている。ガスコンロは立ち消え装置があり、鍋もきちんと整頓されている。
途中休憩をはさみながら坂の上のスーパーに、買い物へ出かける。
洗濯機は昔ながらの二層式、洗剤の種類や分量が分からずに泡があふれて困ることがある。
薬の仕分けがなぜだか分からなくなり、どうしてよいかわからない。
大事な書類がどれなのか、返送が必要なものの手続きが分からない。
物をしまうと分からなくなるから、洋服も目に見えるところにかけて、領収書や連絡先などは電話を置いている壁面に紐をつけた洗濯ばさみに挟んで数か所ぶら下げている。普段過ごすテーブルには女性が大事だと思うものを積み重ね、時折見返して確認するが、その書類の意味が分からないこともある。
女性が普段腰かけているその椅子に、自分の身を置いてみると見えてくるものもある。
雑然とした室内は、女性なりの工夫の賜物なのだろう。積み重ねられた衣類も、ぶら下げられた領収書も、机の上の書類も、女性が忘れないように、自分でできるようにと工夫して編み出した結果なのだ。その自分でしようという気持ちを称え、女性の話に耳を傾ける。
築50年を超える自宅が、いつ倒壊するかと不安でたまらない。
腰の痛みや今までなかった体の不調に戸惑い、これから自分がどうなるのかと漠然とした不安に襲われる。
息子には頼れない。もし一緒に暮らそうと言われても、お嫁さんがどう思われるか・・自分も両親の死に際にもあえず、ましてお嫁さんにみてもらおうなんて虫の良いことは言えない。
近所の人も入れ替わり、ゴミ出しに行っても誰にも会わない。寂しい。
友人からの年賀状もなくなり、もう亡くなられたのだと察する。
地域の高齢者の集まりもあるだろうが、誘われない。誘われたとしても、もう出来上がっている人間関係の中に入る自信はない。
デイケアは想像と違って楽しかった。でも、人に体を見られるのは嫌なので、1日利用はしたくない。
いつかは施設に入るのかもしれない。
1人で家にいると鬱々として、もう早くお迎えに来てほしいと思う。
趣味もない。一体今まで何をしてきたのだろうか?主婦業に専念し子育てをしてきたが、子供たちが立派で自分たちで大きくなったのかもしれない。
バレーをしていたこともあるが、今はどうしているだろうか。一人で夜行列車に乗って旅をした思い出はある。
先日、黒い服を脱いだ時、白い粉が大量に舞った。栄養が足りないのだろうか?
女性の話を伺う中で感じたのは、人に相談することなく一人で悩み、解決策を見いだせず落胆していくループが出来上がっていることだった。
白い粉を吹くのは、皮膚の乾燥のため。栄養というよりは、肌の保湿が重要で、ご高齢の方にはあるあるの状況であるとをお伝えし、保湿クリームの利用をお勧めする。
デイケアは楽しかったという気持ちをとっかかりに、人との交流を持つことで、腰の痛みや体の不調、お嫁さんとの関係性など世間話を通して情報交換し、一人で抱えずに、皆各々悩みがあるんだと気づかれることが、今の女性にとって重要なことであると感じる。
1人で家で過ごし、誰とも話さずに1日を終える生活を想像する。今までの女性の生活スタイルや性格など様々な要因を考慮しても、人との関わりを持つことが必要だと思えた。話してみれば、大した悩みでないことも多く、気分が晴れることも多い。直接的な問題解決につながらなくとも、多少は楽になられるのでは。洗いざらい話す必要はなく、たわいもない話でよい。
女性は1時間強話続けられた。これから買い物へ行かれる予定がなければ、もっとお話しくださったかもしれない。
「ケアマネさんが来る前は、朝から鬱々として気がめいっていたけど、なんだか楽になりました。元気が出たから買い物に行ってみようと思います」
1人じゃない。
そう思えることは、とても重要なことだと感じる。いつものように、話を聴くことしかできないが、女性の気持ちに近づいて、これからの生活への意向を、女性が今まで生きてきた道のりを踏まえて、女性が自分で導き出されるようにお手伝いできればと思う。