ケアマネの私とオフの私の日記

書くことで気持ちの整理をしていきたい。。

定時帰宅

ドラマ「不適切にもほどがある」で描かれる働き方改革について。自分なりに考えさせられることが多い。

 

地方都市の福祉施設勤続18年。居宅介護支援事業所へ部署移動し、どの部署も人が足りず、新規依頼は増え、困難ケースも確実に増加中。ICTは追い付かず紙ベースでの仕事を継続。働き方改革だ!と数年前から他部署との会議はなくなり、コロナ流行も相まってまったく連携がとれず、職員の入れ替わりも多く、同じ職場でも互いの顔も名前も知らずにすれ違う。派遣の方もいるようだが誰が誰だかわからない。このような旧態依然とした地方都市で働き方改革を実現するには、コンサル導入など抜本的な改革が必要だと思えてならない。また地域の雰囲気全体が変わらなければ推進は難しいだろう。上辺だけ制度に則っても、何の改革にもならず、むしろ働く者は苦しいのではないだろうか。

 

定時帰宅。

 

子供が小さい頃は特に、1分でも早く帰りたかった。保育園のお迎えもあるし、家のこともある。それは今でも変わらない。定時帰宅することを目標に働いていると言っても過言ではない。世間話にも興味はあったが、その時間がもったいない。終業後に情報交換も有用だが、定時を回ると心ここにあらず、定時ぴったりにタイムカードを打刻したい衝動は抑えられない。定時帰宅するために仕事の効率アップを試みる日々。もちろん、期日に間に合いそうにない際は残業も致し方ないが、この仕事は個人作業のため、ある程度自分で時間配分ができる。

 

定時帰宅。

 

この目標を達成、維持するために、当初は苦労した。上司より先に帰宅するなんてあり得ない空気、まさに同調圧力を振り切り、あの人は定時帰宅の人だからね、あの人はちょっと変わっているものねと周囲に印象付けるのには時間を要した。

 

そのかいあって、おそらく今ではかなりの変人とみなされていると思う。それでよい。

やるべき職務は果たしているのだし、定時帰宅に勝るものはない。そういう価値観を持った方が残念ながら周りには存在しない。そのため、時折不安にもなる。仕方がない。

 

ドラマでは、就業時間後にも働きたい自由も認めてほしいという場面があった。

確かに、法律的には定時帰宅が妥当だろうが、働きたい自由もあるということか。

 

また、第一話では、結婚して幸せだということを表明する自由を!パワハラだのなんだのと否定されることも侵害なのでは!という反論も。多様性を認める社会への違和感はそこにあるのではと思えてならない。

 

定時帰宅と話はずれるが、自分はこう思うという意見は表明しても良いのではなかろうか?相手が気分を害すればそれはハラスメントなのだろうが、自己主張を押し殺してまで当たり障りのない意見へ寄せる必要があるのだろうか。力や立場の上下関係で一方的になるのは確かによくないが、お互いに自分の意見を表明することこそ多様性なのではなかろうか。

 

そういえば、ドラマでも「話し合いましょう~♬」とミュージカル調だったが、そういうことなのか。

 

私は定時帰宅したい。

 

でも、タイムカードを押してから毎日残業する男性もいる。それは、男性が望んでしていることであり、私と働き方への思いが異なるからそれでいいのかもしれない。

時間だから早く帰ってという発言は、まだ仕事をしたいという気持ちを削ぐことにもなりうるということか。過労死などの問題もあり、ある程度の線引きは必要だろうが、その判断にはある程度の含みが必要なのかもしれない。

 

皆、自分と同じ考えではない。

 

そう考えると、気持ちが少し軽くなる。そして、これからも定時帰宅を目標に働く。それが私の望む働きかただから。