誕生日プレゼントのことを誕プレというらしい。
高校生の娘が友達から誕プレをもらってきた。
それは、少し長めの持ち手のついた小ぶりでかつしっかりした造りの薄紫色の紙袋だった。
まるで計算されたように、中身がはみ出すことなくぎゅうぎゅうに詰められている。
高校生でバイトもしていないだろうに、こんなに貰っていいのかしら?と思いつつ、娘が中身を取り出すのを遠巻きに眺める。
お菓子メーカーとコラボしたカラフルなポケットティッシュ数個。
娘が好きなキャラクターのメモ帳とクリップと缶バッヂ。
一口チョコレートや飴たちは透明な袋に入れられ綺麗な色のシールで閉じられている。
かわいい。
なんだかほっこりする。。
誕プレだからといって、高価なものを贈る必要もない。
友達は実家に帰省した際に、娘の好きそうなものを集めて誕プレを用意してくれたらしい。なんというか、いろんな味の飴たちを透明な袋に入れて封をしてくれる、そのひと手間がとても素敵だと思うし、コンプラ的にはアウトなのだろうが、女の子っていいなと感じずにはいられなかった。一つずつもらうのも嬉しいが、紙袋に集結させて誕プレに仕立ててくれるその気持ちも嬉しいし、だよね~と共感してしまう。
そういえば、娘もレジンでキーホルダーなど作った際、台紙を付けて透明な袋に入れて封をして、まるで売り物のように仕上げて友達にプレゼントしていたことがあった。
対して、息子は。。
以前、彼女からもらったクッキーを鞄に入れっぱなしで、粉々になり原型を留めていなかった。(もらった時はうれしい気持ちは伝えたとのだと思う)
開封したお菓子をプレゼントしてくれる。。(美味しいからシェアしたい気持ちなのだと思う)
僕も使ってよかったからと使用済の化粧品をくれたり。。。(使用感が良かったから共有したかったのよね、きっと)
どちらにしろ、プレゼントしたい!という気持ちに変わりはなく、そこは単純に嬉しい。また、相手のことを思って何を贈ろうか考えるのは、とてもワクワクするものだ。
娘に誕プレをやり取りする友達ができたことも、とても嬉しい。
誕プレ。
好きな相手からは、何をもらっても嬉しいし、物そのものではなく、気持ちが嬉しいもの。私はそう思うのだが、彼らは現実的で高価な誕プレを要求してくる。誕プレは要求するものではなく、サプライズだと私は思っているのだが。彼らにとって私は母であり、父であり、サンタクロースでもあるのだから、夢を与え続けよう。