satoimo's diary

人生も折り返し地点を過ぎた。自分を大切にするためには...

人間間でのチューニング

同じものを見ていても、同じことを体験しても感じ方は人各々。

 

大好きな人や気の合う人とは、何のすり合わせも調整もすることなく共感が得られ、おそらく互いに心地よい感覚で付き合い、高めあうことができる。厳密にとらえると、各々違う感じ方をしているのかもしれないが、それを含めても互いを認め合い共有できる満足感を得られる。

 

対して、価値観があまりにも違う人、自分本位な人(自分も含めて)、何となく合わないなぁと感じる人との共感を得ることは難しい。

 

お互いになのだと思う。相手がどのように感じて考えているのかを聞き、自分の考えとの妥協点を探る。その妥協点が相手に近ければ近いほど、こちらは我慢を強いられるように感じ、それが毎回ともなると、たまにはこちらの意見も立ててくれてもいいじゃない、なぜこちらばかり譲らないといけないのよ、と怒りに変換されることもしばしば。

平和的解決を目指して、無言のうちにこちらが譲歩しているつもりだが、相手も何かしら譲歩しているのかもしれないが。

 

このように人との波長を合わせる作業は、アナログラジオのチューニングを合わせる感覚とも似ている気がする。

 

大好きな人、気の合う人とは、手動で調整することなく瞬時にチューニングが合い、同調ランプが点灯する感じだ。クリアな音楽が楽しめる。

 

価値観があまりにも違う人とは、手動でチューニング調整を試みるが、雑音が多くなかなか同調ランプが点灯しない。クリアに聞こえなくとも、かすかに聞こえるところで妥協し、耳を澄ませる。

このチューニング作業が上手くゆけば、価値観があまりにも違う人とでも表面上のやり取りは可能となる。

 

いずれにしても、自分からチューニングを合わせに行ったほうがことがスムーズに運ぶように思う。分かり合えないのは仕方がない、最大限聞こえるところでコミュニケーションを図る。

 

確かに今目の前を通り過ぎたその人は、普段から挨拶も返されず、こちらを避けているようにも思えて、次第にこちらから声をかけることもなくなっていた。互いに今、その空間に存在しているのだが、チューニングが合っていないから互いを認識できない。違う周波数で生きているような感じ。見えているけど、そこにはいない。決してチューニングを合わせることができないと諦めてからは、少し気分が楽になった。

 

話は飛躍するが、宇宙人が地球に存在するとして、時空が異なるため人間からは見えないというような話を聞いたことがある。時空なのかチューニングなのかなんだか分からないが、共通のツールなしには互いを認識できないということか。

 

子供の頃から、皆と仲良くと教えられてきたし、そうできれば良いなと思う。大人になり、それは少々無理な注文であることに気づき、互いを傷つけない範囲で生活できればよいのかなと感じている。ストレスフリーな生活を目指して。