satoimo's diary

人生も折り返し地点を過ぎた。自分を大切にするためには...

スローモーション

浴室の排水溝から水があふれてきた。

 

そういえば、ここ数日、お風呂に入るたびに排水溝からゴポゴポと音がしていたが、気に留めてもいなかった。

はて、業者に依頼となると、どこに頼めばよいものか?どのような修理が必要で、費用はいくらかかるのか?まったく分からないが、依頼すると費用がかかることだけは確かだ。

 

休日の早朝、家の外に回って浴室の排水状況を確認すると、マンホールのような蓋があった。そういえば、洗濯をした際に、ここ付近に水が流れて排水溝に向かっていたような。

恐る恐る重厚な蓋を持ち上げると、以前、厨房で働いていた時に清掃していたグリーストラップのような排水がたまる深い穴があり、そこが詰まってあふれている様子。

なるほど。細長い棒を持ってきて中の様子を探ると、ボコボコと音を立てて、一気に水が流れ始めた。底の網の上には、何かの木の実が詰まっており、それが排水溝を塞ぎ浴室まで逆流していたらしい。

 

ついでに側溝の汚泥も取り除こうと作業していると、あふれた水で湿ったコンクリートは苔も生えており、ゴムスリッパの足を取られて、蓋を開けたままでいた深い穴に落ちそうになった。

 

つるんと足を滑らせて、態勢を取り戻すまでのコンマ数秒の間、それはスローモーションのようにコマ送りの出来事だった。

この穴に片足突っ込んだら、相当なケガになる。コンクリートに頭を打ち付けたら意識がなくなるかも。家の裏で早朝、誰にも気づかれず終焉を迎えるのか。幸い助かっても、骨折なんて痛いのは嫌だ。子供たちはどうしよう。

 

幸い、隣家の柵に縋り付き事なきを得たのだが。

 

過去にも、数秒の出来事がスローモーションで感じられたことがある。

 

まだ、就学前だったが、公園のブランコを勢いよく漕いでおり、落ちそうになった時。

小学校のタイヤの跳び箱で態勢を崩して地面に着地するまでの間。

20代前半、クリスマスの日だった。原付で通勤途中、左手から出てきた車に跳ねられて数メートル先の歩道に飛ばされた時。

 

命の危機に瀕した時にスローモーションに感じられるのか?

このままでは、こうなると分かっていてもどうすることもできないとき。

体は止められないが、もう一人の自分が冷静に状況を観察しているような。

 

よくわからないが、ともかく、転倒骨折をまぬがれ、浴室の排水のつまりも解消され、修理費用の心配をする必要はなくなり、一件落着なのであった。

奨学金予約申請

大学進学にあたり奨学金はいくら借りればよいものか・・。

 

高校から奨学金予約申請の案内が届き、QRコードで動画により内容を確認する。自宅通学なら、学費のみで大丈夫かと思うが、県外への進学なら、居住費に食費、光熱費、交通費など諸々、想像するのも恐ろしくなるほど、一人前の生活費がかかる。その一人前の生活費をアルバイト収入はあるかもしれないが、学業に励みつつ、いわば無職で乗り切るわけであり、仮に自分が4年間仕事をせず無収入で大学に通うと想像すると、気が遠くなった。

 

学費だけなら何とか援助はできる。しかし、生活費までとなると厳しい。やはり、奨学金のお世話にならずにはいられない。高校の先生からも、本人の借り入れであり、返済義務も本人のため、自分で申請手続きをするようにとの話があったようだった。

 

一人親とは言え、大学までは出してあげたい。金銭面で諦めさせたくはない。第一、自分が学びたい分野があるということ、やりたいことがあるということを、応援したい。

 

でも、奨学金とはいえ多額の借り入れとなり、数十年かけて返済していくのは本人。

でも、こんなちっぽけな地方都市で落ち着いてほしくはない、首都圏や海外まで視野を広げてほしい。

でも、一人で朝起きれるだろうか?食事なんて作ったこともない。脱いだら脱ぎっぱなし、お菓子の袋もポイっとする彼の一人暮らしが心配でならない。具合が悪くても、すぐに駆け付けることもできないだろうし。

でも、学びたいことがあるのだから、頑張れるよね。一人暮らしもしてみたいだろうし、朝まで友達と遊びたいだろうし、18歳成人だし・・。

 

でも、でも、でも。

 

学びたいことは、はっきりしているが、実際の費用面に関しては、まだ認識がないようで、とりあえず一緒に奨学金予約申請を行う。毎月の返済額シュミレーションを伝えると、

 

「大丈夫だって、これくらい。これ以上に稼ぐのだからさ、繰り上げ返済もできるんでしょう」

 

何とも心強い返答だった。確かに、繰り上げ返済もできる。一人親で切り詰めて生活してきた私にとっては、毎月の数万円の返済はかなりの負担との認識であったが、これ以上に稼ぐという考え方もあるのか。一気に背中を押された気持ちで、こうなったら、彼の入りたい大学への入学を迷いなく応援するのみと、こちらも肝が据わった思いだった。元気でいれば、どうにかなるさ。

光と影

すべての品物が半額の店があるらしい。

 

息子の情報を頼りに繁華街のアーケード内を詮索した。こんな地方都市にも、いよいよそのような店ができたのか。半額って。

 

その店は人通りの少ないアーケードの一角に、少し異国の雰囲気を漂わせて並んでいた。というより押し込められていた。

店頭の段ボールには確かに、赤字で値段訂正され「半額」とある。初めて見るラベルの缶ジュースや、レトルトカレーにパスタソース。クッキーやトレーニング用品まで、食品だけでなく便利グッズのようなものも陳列されていた。

 

店内は薄暗く、床がペコペコする。客は数名ほどだった。2階もあるらしく、恐る恐る階段に向かう。明らかに水平でない階段を、抜け落ちないことを願いながら上ると、1階と同じ商品が並んでいた。天井には店の雰囲気とは不似合いなシャンデリアがボーっとあたりを照らしている。前の借主のままリフォームせずに店舗にしたのだろう。

 

「僕、なんかいやだ。気持ち悪い、この感じ」

 

一通り物色して、目ぼしいものも見当たらず、また今にも崩れ落ちそうな階段を下りる。息子は、いやだといいながら、得体のしれない外国産らしい半額の缶ジュースを1本購入した。

 

「アリガトウゴザイマス。79エンデス。」

 

アジア系のなまりが強いレジの女性が、さらに怪しい雰囲気に拍車をかけた。

店の前半分は、陳列棚に似たような商品が並んでいるが、店の奥半分はさらに薄暗く段ボールが積まれ倉庫のようだった。

 

「このあたりの街は気持ち悪い。なぜ、変な人ばかりいるの?イオンとかの方がいい、きれいだし」

 

確かに。

このあたりの雰囲気は、私が高校生だった頃のまま、再開発もされず、取り残されているようだった。建物も古く、照明も薄暗く、引き寄せられるように怪しげな人や物が集まる。

今はなくなってしまったが、雑居ビルに「Mr.BOO」と名乗るミリタリー調の服を着たおじさんが営む雑貨屋があった。雑貨屋と言っても、文化祭の延長のようで、床に敷物を敷いて、ガラクタとも思われるよくわからないものを売っていた。仲良くなると、免許証サイズのカードをラミネートして作ってくれた。

流行り始めたカラオケボックス。当時はホテルを改装して営業している店も多く、なぜかお風呂付の部屋で朝まで歌ったりしていた。

雑居ビルの隙間をすり抜け、隠れ家的な店も多かった。

言われてみれば、確かに、店も街も雰囲気もきれいではなかったかも。何かごちゃごちゃしていて、怪しげであり、でもそこに少しひねくれた楽しみもあった。

 

あらゆるものが機能的になり、街は整備され、清潔感がある。電車内で煙草を吸う人もいなくなり、ショッピングセンターのトイレなんて、とてもきれいだし、それが当たり前になっている。身の回りのあらゆる汚いものが見えなくなっているように思う。

 

そんな環境で育った彼らには、あの店は異様に感じられたのだろう。

 

世の中はきれいなものばかりではない。一歩路地裏に入ると、別世界でもある。これから社会に出るにあたって、いつ迄もかごの中の鳥ではなく、世の中の光と影を知り、自分なりに上手く付き合っていてほしいと願う。

タヌキ現る

久しぶりの晴 れ間、平日のお昼前だった。崖に面した住宅街の角地にある一軒家に娘さんと住む90代の利用さんの家を訪ねた。

 

娘さんは保護猫の活動をしており、自宅には小さな扉があり、地域猫が何十匹と出入りし、時にはアナグマもやってきては、常備しているカリカリの猫のえさを食べているのは知っていた。

 

ご自宅の門扉を開けようとした際、斜め後ろから何かの視線を感じ、崖の方に目をやると、数メートル先に1匹の黒猫と、何かわからない2匹の動物がじっとこちらを見ているのに気づく。

何かわからない2匹の動物は、猫より少し大きいが、アナグマには見えない。アナグマは以前、自宅にアナグマが住み着き、かまれて大怪我をされた高齢女性宅で遭遇したことがある。

その2匹は、じっとこちらを見据えて逃げようともしない。よく見ると、毛がまだらに抜け落ちているようで、毛のない犬のようにも見えるが、シルエットは全く異なる。

 

ほどなく、娘さんが出てこられ、興奮気味に2匹の動物の存在を知らせると、どうやら毛の抜け落ちたタヌキらしい。

娘さんが言うには、人間の食べ物を与えたから毛が抜け落ちる病気になったとか。そういいながら、台所の棚から小麦粉を取り出し、その小麦粉に卵と砂糖を混ぜて焼いたものをタヌキに食べさせているという。それって、パンケーキ?以前は、ベーキングパウダーも入れて膨らませていたが、価格が高い為、今は入れていないとか。

 

人間の食べ物で病気になると分かっていながら、なぜ??

 

それから、他の猫たちのエサ代は月に30,000円ほどだと教えてくださった。カリカリは

毎日1袋、自作のパンケーキ、菓子パンに食パン、牛乳・・。自分たちの食事は質素なものだとか。

 

保護猫の活動は知っていたが、果たして、娘さんのこの活動は、どうとらえればよいものだろうか。

 

野生動物に人間が食べるものを、エサとして与えるのはどんなものだろうか?

 

そのお宅はいつもスリッパを用意してくださり、椅子を覆った新聞紙を外した席に案内される。足元には数個のエサ皿にカリカリや牛乳が常備。おいしいコーヒーを淹れてくださり、要介護4のお母様の介護について日頃の話を伺う。時折、猫たちの出入りがあるが、さすがに日中はアナグマは現れない。

 

足元のエサ皿に躓かず、猫たちとも共存し、夏には少し皮膚が赤くなることもあるが、鼻歌を歌いながら自宅での生活を満喫されているお母様。彼女らにとっては、それが快適な環境なのかもしれない。

 

自宅に戻り、娘にタヌキと出会ったことを話すと、ささっとスマホで検索し、ダニによる皮膚病だと教えてくれた。一種の疥癬症らしく、その画像は、まさに今日遭遇したあの2匹そのものだった。

 

アナグマやタヌキの出入りで、彼女らが感染症にかからないことを願う。

諦め

息つく間もないこの2か月間。

 

虐待ケースや入退院の支援で、仕事量が増えていることが、この忙しさの原因とばかり思っていた。もちろん母の入院の洗濯物支援や毎日の家事も増えてはいるが、そう負担でもない。しかし、体の方は、四十肩や関節の痛み、疲労感など今までにない故障ぶりだった。

 

通勤の運転中、ふと思いついたことがある。

 

もしかして、仕事量が増えたのではなく、私のパフォーマンス能力が低下していることが原因なのではないか?

 

仕事量は対して変わりはないが、私の対処能力が低下してきており、体の方も、頭で思うようについてゆかず、故障として表れてしてしまっているのかも。

 

なんてこった。。

 

今までのように気力で押し切ることが難しくなり、体が動かない際には、とりあえず一旦停止することにした。何かしようにも、体が動かないのだから仕方がなかった。

仕事も、なるべく意向に沿えるように、スピード重視で対応してきたが、ケースによっては、少し寝かせて時間を置き、今一度考えてから冷静に対応することにした。早くしたくても、追い付かないのだから仕方がない。

 

流し読みしたネット記事で、体が衰えていくのは悪いことばかりではない。能力が落ちて対処できないがゆえに、良い意味での諦めも受け入れられ、無欲になってゆく。若い方々へ、どうぞお願いと譲ることもでき、応援する立ち位置にも立てる。余計なものをそぎ落とし、執着がなくなり、楽になってゆく。子育ても終わり、自分のために働くことができるようになると、仕事への向き合い方も変化してゆく。というような内容があった。

 

なんとなく、体の不調を感じ始め、今までのように仕事をこなせなくなってきた自分に、すっと浸透するような記事だった。

 

そんな今の自分を受け入れることで、少し肩の荷が下りた気がした。同時に、周りの人達や不測の事態に直面した際の心境も変化し、苛立つことも格段に減ってきた。今までは、自分と同じことを周りにも求めていたのかもしれない。それが、相手には相手の事情があり、それを尊重しまた、それに左右されることなく、自分は自分であることが分かった。あくまで、私は私であり、できることはできるが、できないことはできない、ただそれだけの話である。

 

これが諦めということか。

良い意味での。

続・虐待か・・・

母親への虐待が疑われた長男は、施設入所を主治医が手配した翌日、母親の体調が悪いと救急車を呼び、他病院への入院となった。

 

いったん振出しに戻る。

 

数日後、市の職員と長男の状況確認へ自宅へ訪問した。

長男の体調を気遣いつつ、暴力行為や施設入所の話題になると、みるみる長男の顔が険しくなるのが分かる。話はまとまらぬまま、母親は入院のため緊急性はないと市の判断もありしばらくは落ち着いていた。

その間にも、入院先の相談員や医師との情報共有、市との協議などを繰り返す。入院先は急性期なため、退院または転院が必要であり、今回は、長男の体調が悪く自宅介護は困難との意向にて、リハビリ目的にて転院となる。

 

問題は解決されず塩漬け状態のまま。

 

転院先では、認知症状の悪化か、大声で叫ぶことが増え、患者さんから苦情も出ており、認知症病棟への転院になりそうな状況。そのまま、転院されれば、おそらく長期滞在が可能、長男による虐待が繰り返されずに済む。

 

関係者一同、安堵したのもつかの間だった。

 

長男より「やはり自分に悔いが残らないように家でみたい、退院させます。私が倒れるまでは一緒に暮らしたい」

 

いったい、何度振出しに戻るのだろうか。

 

退院までに在宅での介護サービスを調整し、長男への本人の状態の理解に加え、介護負担軽減による虐待再発防止、緊急時の対応整備を行う必要がある。市からは、長男に自覚を促すためにも、虐待行為やそれを発見した際には市に通告する義務があることをケアマネからはっきりと伝えるようにとの助言を受けた。本来なら、在宅の介護サービス関係者を交えての病院での話し合いが必要なところだが、コロナのため、長男と病院の相談員、ケアマネの三者面談状態で急遽話し合いの場を設けた。

 

長男が母親を見たい気持ちはわかるし、それを制御する権利は誰にもない。ただ、長男による不適切な介護により、母親が不利益を被る際には公が介入する必要がある。

 

2時間にわたる話し合いで、長男の母親を自宅で見たいという気持ちは十分にわかるのだが、その先の手立ての話になると現実味がない。その手立てを提案するが、受け入れられない。

病院側より、「1時間おきの排せつの訴えがあり、その都度の対応ができなければ施設を検討された方がよいと思いますよ。ヘルパーさんが来た時に排泄のタイミングは合わないでしょうし」の言葉に、長男は「だから、おむつにしろというんですよ。な、母ちゃん、おむつにしなさい。私もそんな移乗は大変なんだから」本人はその場では頷かれるが、理解はむずかしく生理的欲求をコントロールできまい。

以前も、排せつの訴えが多く、ポータブルトイレへの移乗が負担となった長男が、母親を半裸でポータブルトイレに座らせたまま食事をさせられていたこともあり、その行為は虐待にもあたり、通報義務があることを伝えた。

 

その時点から、長男の顔が曇りソワソワされるのが分かった。その後も、主治医を変える、サービスも変えたい、いや、ケアマネさんのそのプランで良いなど二転三転。退院まで時間がなく、以前了承をもらったプランで調整しており、今からの変更は間に合わないことを説明し、何度も内容の確認をして納得された。と思っていた。

 

翌日、長男より主治医を変えたい、サービスも全部新しい主治医の法人のところに変えたいとの話があった。ケアマネ変更についても、ずいぶん早い段階から提案していたが、昨日の虐待の真相に迫ったことで、長男は私を敵と認識されたのだと思う。

 

数か月、何度もサービス調整し、市や事業所、病院とも協議してきたが、結果、主治医もサービス事業所もケアマネも変更となった。引継ぎ先のケアマネも調整は間に合わず、こちらのプランを使いたいとのことで、プランも、事業所もすべて引き継いだ。市の担当の方は、引き続き支援くださることとなる。

 

長男の母親に対する虐待

 

他者に見つからなければ、親子二人の時間を過ごせたのかもしれない。母親は息子がかわいいから、暴力を受けているとは言い難い部分もあるかもしれない。余計なことをしてしまったのだろうか。本人たちが良ければ、それは虐待とは言わないのだろうか。介護サービスを上手く使って、長男の負担を減らすことで、母親に手を上げずに仲良く自宅での暮らしを続けられるよう願っている。一度、敵とみなされるとケアマネ変更をされるケースを何度か経験した。私では力不足であり、無責任かも知れないが、引継ぎ先のケアマネさんに託したい。

四十肩

日曜の朝起きると

左腕が上がらなくなってた。

 

少しでも動かすと激痛が走る。

何の前触れもなく、突然襲ってきたこの状態は、おそらく、噂には聞いていた四十肩に間違いない。

 

心当たりは

ストレスだろうか。

 

着替えようにも、左手が後ろに回らない。洗髪も難しい。化粧水も片手でパシャパシャ。歩く時に左手を振るのも激痛が走る。

 

月曜日、通勤の際、シフトレバーを動かすだけでも激痛。右手のみで運転し職場に到着。パソコンに向かうも、数分で左手が動かない感覚。受話器を取るのも、後ろの棚のファイルを取るのも、少し腕を動かすだけで激痛。茶碗も持てない。

 

なってみて初めて分かる、この痛みや辛さ。

他人事だと思っていたが、どうやら私も人並みに歳を重ねているようだ。

 

はて、整形外科に行くべきか?

 

整形外科は、手の強張りで受診し更年期疑いを受けたのが先月。

その2週間後には、左膝裏に痛みを覚え、使い過ぎと、骨のすり減りは老化の始まりだと、あっさりと診断。

流石に3度目の受診は、恥ずかしさもあり様子をみることにした。

 

年を重ねて、思うように体が動かないのは、確かに辛いが、その分、ゆっくりと動作をするようになり、半ば、諦めも出てきて、以前より心には余裕が出てきたように思う。

 

焦っても、体がついてゆかないのだから、仕方がない。自分にできる範囲でこなしてゆく他ないのだから。