satoimo's diary

人生も折り返し地点を過ぎた。自分を大切にするためには...

高齢者虐待ケース

虐待ケースですと、明言され引き継いだ。

 

「80代の母親に金銭的・身体的虐待、介護放棄をしている障害手帳保持の60代の息子」

 

事実のみ表記すると、人によって感じる印象が異なるのは仕方がない。だがこの親子に直接関わっていない行政の方々へ報告するには、文章で言語化して伝えることしかできない。面談時に感じた空気感や生活の様子、表情の変化やニュアンスなど肌で感じたことを伝えるのは容易ではない。また、上手く表現できたと思っても受け取り側の価値観の相違もあるため、こちらの思うように伝わったかは分からない。伝わったところで、その後の判断も異なる。

 

行政は長男を支援対象として会議を開催。行政の各担当部署から10名程、長男担当の包括3名、母親のサービス事業所からはヘルパーとデイサービス担当者、そして担当ケアマネの私。

 

資料に沿って情報共有が進む。この会議室に集まった十数名の中でこの親子と関わり面識があるのは、行政1名、包括1名、ヘルパー1名、デイ1名、そしてケアマネ1名の5名のみ。他の方々は資料を基に親子を想像して検討がすすんでゆく。

その資料は、この親子のほんの一部でしかない。しかも、記載者の主観で書かれており、記載者の親子への思い込みフィルターを通して表現されるため、そこに立ち会っていた私からすれば、少しニュアンスのズレも感じる。違和感でしかないが、書面で共有するしかないのだろう。

 

ヘルパーの男性に発言を求められた際、彼は待ってましたと言わんばかりに意気揚々と語りだした。(この表現には私の悪意が感じられるが、そう感じた)彼は、母親の額が赤くなっていることについて、長男にぶたれたと本人が言ったと表現した。即虐待と判断し、包括やこちらにも連絡を下さった経緯はある。もちろんそれはしかるべき対応だ。だが、その後の説明が、一方的に長男を加害者として仕立て上げたような内容だった。確かに、額が赤い事実はある。が、それまでに至る経緯、その時の本人の対応、長男からの聴取はないまま、彼の中では、長男が暴力をふるった。危険だ。長男は物言いが荒いが、僕はそういう人に好かれるので大丈夫。僕の事業所はどんな支援も断らない。と、かなり偏った考え方(私からすれば)をされ、着地点もずれているように感じて、首をひねってしまう。

 

おそらく、この中で私が一番この親子と関わっていた。(優位に立つつもりはない。ただ支援の関係上、複数回面談していた)虐待ケースですと、包括と同行し、担当者会議開催以降は、一人で訪問し、長男、本人と面談を繰り返していった。支援の相談をしたいときに土日祝日は行政は休みであり、事後報告になる。行政は虐待ケースなどペアで動くらしいが、居宅のケアマネはペアで動けるほど人員の余裕もない。

 

確かに長男の物言いは厳しい。本人の額を小突いたのも事実。長男も本人もそれを認めたていた。面談を繰り返し、長男の生活にも踏み込み過去の家族関係を紐解いてゆく。本人の言うことだけで動くのは危険だと感じていた。そのことで本人と長男の関係性が悪化する可能性が大いにあったから。長男を怒らせないように、しかしこちらが怯えている様子は見せないよう冗談を交えて笑いに変えながら、関係性を拗らせないように、慎重に、しかし手を挙げてしまった事実を確認してからは時間的な猶予はない。

 

途中経過を包括へ報告し、一度は行政と自宅訪問されたようだが状況確認のみ。本人からは長男の目を盗んで日に何度も電話が来るようになった。

 

面談を繰り返す間に、長男の気持ちも理解できた。やはり、家族には家族特有のルールや今までの経緯があり、この虐待という状況だけ見た他人がどうこう言える問題ではないと感じていた。このような状態になる原因は、本人にも大いにあるようであり本人も自覚していた。だが、虐待はしてはならないことであり、そうならないためにどうすればよいか、本人、長男と一緒に考え提案してゆく。

 

結果、お互いに施設入所に落ち着いた翌日にこの会議となり、今までの経緯を早口で説明することとなった。

 

おそらく、私は長男を擁護する立場から物を言っていたと感じる。虐待はあってはならないことで阻止せねばならないと重々承知だが、長男の思いを今までの親子関係を知り一方的に母親が被害者だとも思えなかった。(そんなことは口に出しては言えないが)また、それを裁くのは私の仕事ではないことも分かっている。未然に防ぐことが使命であることも。

 

母親が施設に入り身の安全を確保することが最優先。その後の長男の金銭的自立、就労支援などは行政がアウトリーチしていくとの結論。

 

結論に異論はないが、この親子のことをよく知らない他人が、まぁ行政の方々の使命かもしれないが、あーでもない、こーでもないと検討している場が空々しくもあり、滑稽でもあった。ただ、立場が違えば、色んな解釈があり、多職種で検討することの有意義さは十分に感じることができたが。

 

いや、どうなのだろう?核家族化が進み、結婚を選択しない単身者が増えてゆくこの先、各々家庭の問題を家庭で解決できずに、他人である行政が介入する必要性が高まってゆくのかもしれない。とはいえ、行政の方々は直接、対象者の自宅に訪問するわけではなく、包括が抽出した対象者宅に、居宅のケアマネが訪問し状況を報告する。(現にヤングケアラーなどの把握もケアマネにとの動きがある)実行部隊は居宅のケアマネなのかもしれない。行政は会議室で資料を基に会議を進めるが、居宅のケアマネは、この身一つで受動喫煙覚悟で対象者の自宅に出向き、訪問後に具合が悪くなることもある。排泄物で足の踏み場に困るお宅や、家の中に入れてもらえず数時間外で待たされることもある。一体、何やっているのだろうと思うこともあるが、自分の根底にある好奇心がまだ勝っており、もう少しこの仕事を続けてみようかと考えている。

 

自分も偏った考え方、偏見があることも再認識した。大多数の人間は、無意識にでも自分が正しいと思っているのかもしれない。立ち返ってみることは非常に重要だった。