satoimo's diary

人生も折り返し地点を過ぎた。自分を大切にするためには...

小豆バー欲求

マズローの欲求理論でいうところの、最下位である生理的欲求=食べること。

 

最近は、食べることを満たすために生きているようなものだ。それが満たされないので、最上位の自己実現などに辿り着けるわけもない。

 

とにかく、生理的欲求を満たすために、頭に浮かんだ食べたいものを探し求める日々。

 

今食べたいものは、辛いものか、硬いものだ。

 

辛いもの。

キムチ、激辛チップスに激辛ラーメン、冷麺などに刺激を求める。唐辛子の苗をベランダ菜園に植え付けた。

でも、どこか満たされない。

 

硬いもの。

フランスパン、カンパーニュ、煎餅、バナナチップスそして、小豆バー。

 

小豆バーの硬さは十分なものだった。

素朴な味わいも昔ながらのもの。小豆の粒々をカリッと噛む感じが、たまらない。しばらくは、毎日小豆バー生活が続く。

 

小豆バーは製造元メーカーが、2社あるようだ。他の地方では、もっとあるのかもしれない。価格も、形も違うが、硬さは同じくらい。

 

老舗メーカーの小豆バー6本入りの箱が、応募ハガキになっており、久しぶりに出会った小豆バーの感動も伝えたくて、小豆マークを切り取り、テープで貼り付け、食べた感想も付け加えて、切手を貼り応募してみた。

 

これまた、懐かしい感覚である。郵送での景品応募なんて素敵ではないか。

 

6本箱入りではなく、1本売りもあるようだが、近所のスーパーではなかなか出会えない。1本売りなら、もっと大きいサイズなはず。

あぁ食べてみたい。

 

アイスキャンディーのように、斜めに棒が刺さったものも、食べた記憶がある。

あぁ食べてみたい。

 

カチカチに凍った小豆バーを、歯が持っていかれそうな小豆バーを、思う存分食べたい!!

 

これほど迄に硬さを求める理由は、自分でも何となく気づいている。

昨年末、下顎骨折し、結構な期間流動食で過ごし硬いもの厳禁の生活を過ごしたから・・。

 

まだ完全に骨融合はしていないようだが、顎をフル活用して全力で硬いものを噛み締めて、食べたいのだ。

 

ありがとう小豆バー。

デジタル教科書

小学校のデジタル教科書導入について

夕方のニュースで知った。

 

高校生の息子曰く

紙の方が良い。覚えやすいし。

 

確かに。

教科書に書き込んで、自分で書いた文字を覚えていることもある。一枚ずつめくる感覚。クタクタになった教科書には、愛着が湧くし、なんか勉強した感も得られる。

 

タブレットは、図が動いたりしたら、理解しやすいかもしれない。アイホンのように、本能的に使いこなせれば、無意識に内容をインプットできたりして。

 

中学生の娘的には

重い教科書を持ち歩かないから、良いじゃない。

 

それも、そっか。

アラフォーの私では、あのパンパンの鞄を背負うのはもう無理だ。

 

その日のニュースでは、タブレットでは、視力低下への危惧や、有用性など情報が不十分であり、当面は、紙の教科書も併用していくと報道されていた。

 

新しいものを取り入れたり、何かを変化させる際には、ストレスが伴うと思う。確実に、取り入れた方が良いというお墨付きであれば、そうでもないのかも知れないが。

 

変化には、エネルギーが必要だ。

 

いつでも、変化に対応できる余力を残して生きていきたい。

 

 

小さくて黒い大量の何か。

「なんか、心がモヤモヤして。時間があったら、家に来てくれない?」

 

事務所で昼食中、80代1人暮らしの女性からの電話だった。

午後から訪問予定はなく、二つ返事で女性の家へ向かう。その前に、女性が利用しているデイサービスと訪問看護事業所へ近況を尋ねたが、特に変わりはないという。

 

家に着くなり、女性は止めどなく語り始めた。

 

クールポコの餅つきのように、時折相槌を挟みながら、テンポを崩さないように、女性の言わんとすることを探りつつ傾聴に徹する。

 

”とにかく、誰でも良いから話を聞いてほしい”

 

それが主訴だと感じた。

 

子供たちが、たまに来てくれても、ゆっくりと話す暇はない。子供たちも生活があるから、自分のことで迷惑はかけたくない。でも、煩雑な書類の手続きや、日常生活での困りごとが募り、1人では処理できなくなり、デイサービスへ行くと、自分も物忘れが進行し、何もできなくなるかもしれないという漠然とした不安に襲われる。私、大丈夫かしら?と。

 

「もう、どうしてよいか分からない」

 

これが、女性の口癖だった。

 

女性が思いのたけを吐き出すのに要した時間は1時間強。

その間、聞き手としては、映画グリーンマイルでコーフィが病気を治すときに、相手から吸い込む小さくて黒い大量の何かを受け取るような感覚だ。

 

女性の不安や恐怖、悩みを言葉にして吐き出してもらい、こちらは、ただただ傾聴につきる。小さくて黒い大量の何かを全部吐き出すことができた時、女性は笑顔を取り戻していた。

 

「あなたに話せてよかった。ずっと、話したいと思っていたの。子供たちにも、誰にも言えないから。心がすっとした。ありがとう」

 

特に解決策を提示できたわけでもない。

女性は自分でも分かっている。真に子供たちに迷惑をかけないということは、健康に自宅での一人暮らしを続けることである。煩雑な書類や事務手続きで悩み、不眠になり精神的にも不安定になるくらいなら、その部分は子供たちに甘えて良い。そのほうが、よほど健康を維持し自立した生活につながるのだから。

 

「ちょっと、子供たちに甘えられるように考えてみる」

 

ただ話を聞くことが、ケアマネジャーとしての適切な支援なのかは分からない。ベテランの方は、もっと良い方法を知っているのだろうと思う。

 

今までは、小さくて黒い大量の何かを正面から受け取り、自分の中にため込み、苦しくなっていた。

少し、距離を置くことを覚え、帰りの車の窓を開けて、小さくて黒い大量何かを外に吐き出す。そして、空っぽになった体をリセットし、自分を取り戻していく。

 

話を聞くことで不安が軽くなるのなら、お時間の許します限り、いくらでも聞かせていただきます。

お弁当バトル

高2の息子のお弁当作りも2年目を迎える。

 

忖度を知らない彼は、お気に召さないおかずは容赦なく残してくる。全く手付かずの日もあった。

いくら栄養を考えたとて、食べなければ意味はない。残ったおかずを捨てるのは、いつも忍びなく、悔しかった。

 

どうにかして、全部食べて欲しい。

 

食べて欲しいとお願いしたところで、反抗期の名残もあり、彼が聞いてくれるはずもない。彼が残さず食べたくなるようなお弁当で勝負するより他ない。

 

残飯の傾向を観察していくと、色んなおかずを詰め込むよりも、肉と米!みたいなシンプルなラインナップが良さげなことに気付く。

 

そこで冬場には、ランチジャーを購入し丼物メニューにしてみると、ほぼ完食が続いた。

 

どうだ!美味しいでしょ!

 

親子丼、カツ丼、カレー、ハヤシライス、野菜炒め・・全部食べてくれると嬉しい。栄養はさておき。

 

しかし、梅雨を迎え気温は上昇。ランチジャーでは、ご飯は保温できるが、おかずは微妙な温度帯となるため腐敗が心配される。もはや、これまでか・・

 

考えた挙句、スープジャーを購入した。

 

スープの保温はもちろんだが、保冷もできるので微妙な温度帯は避けられる。しかも、生米と熱湯を入れると、お昼時にはお粥ができてきる。保温だけでなく、勝手に調理もできるなんて。

 

ま、お粥の出番はまだないが、保温ご飯コンテナに米!、スープジャーには豚汁やおかずスープにしたところ、またしても完食が続いた。

 

ふん!美味しいでしょ!

 

次は、冷麺に挑戦しようと目論んでいる。

 

以前、別容器で持たせた残り汁をそのまま弁当箱に入れて持ち帰り、汁が漏れてたから、もう麺は出さないでと言われた過去へのリベンジ。

 

人知れず彼の弁当摂取率に対抗心を燃やし、リサーチ、試作を繰り返し、日々、データを蓄積していることを彼は知る由もない。

 

美味しく食べてくれればそれで良い。

梅雨の憂鬱

梅雨は憂鬱だ。

 

それって

ただ自分の思い込みであり

皆がそういうからそうなんだろうなみたいな

考えることも、感じることもなく

勝手に決めつけた方程式。

 

梅雨だって

それなりの楽しみを見つけますよ。

本を読んだりできますからね。

 

そういうところが好き。

 

私なりに梅雨の過ごし方を模索してみる。

 

冷房を効かせた車内で

クラッシックを大音量で流して運転する

フロントガラスにあたる雨粒も

なんだか雰囲気があって

悪くない

 

濡れたくないからと

数年前から愛用している雨靴

訪問先でも濡れた足で迷惑をかけることなく

素敵な長靴ね

なんて言葉をかけてもらい

ちょっぴり気分が上がる

悪くない

 

数週間前に種を蒔いたふうせんかずら

時を同じくして一斉に発芽

お水をあげなくても

天然の水やりで

すくすく育っていく

悪くない

 

一日中雨で

皮膚はベトベトだった分

入浴後の爽快感は半端ない

悪くない

 

同じ雨空の下で

あなたは何を思っているのだろう

そう想像いや妄想に近いが

思いを巡らせると

雨の雫も愛おしくなる

もちろん

悪くない

 

やはり

どこにいようと

何をしていようと

何があろうと、なかろうと

楽しむのも、悲観するのも

自分次第ってことか。

エナジーバンパイア

結果から言うと

自分の受け取り方次第だと思う。

相手は何も悪くない。

 

昨年末、ランニング中に転倒し下顎骨折し、顎を数針縫った。その頃から、なんだか精神的に不安定になっており、体調まで狂ってきたことに気付く。

 

数ヶ月後、また転倒。

 

身体が鉛のように重くなり、ランニング中に、足は前に踏み出しているつもりでも、スピードが出ず、引きずりながら進む。

 

普段の生活にも、支障を来すほど、身体の動きが悪くなり、スーパーに行っても店内を一周するのがやっとだった。

 

帰宅後は、何も出来ずに横になる。

 

何かおかしい。

 

更年期?コロナによる自粛疲れ?貧血?

ストレス?

温泉に行ったり、美味しいものを食べたり、音楽を聴いたりしても、晴れない。

 

図書館で借りたある本に「エナジーバンパイア」という初めて目にする言葉があった。

 

これかも。

 

昨年から同じ部署で仕事をすることになった男性がいる。

 

転職と同時に離婚されたらしく、転職後暫くして、堰を切ったように家庭の話をされるようになった。3人部署なのだが、私1人の時に限って話されるので、あまり聞かれたくないのだろうと、こちらも胸に留めることにした。

 

同じ年頃の子供もおり、他人事とは思えず、時にはアドバイスをしたこともあった。

終いには、男性は休みの日にも職場に来て、勤務時間前に話を聞くこともあり、訪問時間を尋ねられ、その時間まで男性の話を聞かされるなど、もうこちらも耐えられなくなる。

 

家庭の話を聞けば聞くほど、男性への嫌悪感が募っていった。男性は、話を聞いてもらえてありがたいです。なんて言っていたが、私のエネルギーは、どんどん失われていき、身体の不調に繋がっていったのだと思う。

 

そんな矢先の転倒だった。

 

男性の話を聞くことにより、私のエネルギーは吸い取られ、心までカラカラに渇いていった。男性のようにネガティブ思考に陥り、身体に不調が現れ始めた。

 

仕事中も出来るだけ、男性が視界に入らないように、パソコンの位置を調整し、必要最低限の会話に留める。話しかけられそうになると、席を外した。

 

流石に男性もなにか感じてくれたのか、家庭の話はされなくなった。

 

エナジーバンパイア

 

でも、男性は何も悪くはない。というより、良い迷惑だと思う。

 

私と価値観が合わないだけで、私が勝手にエネルギーを吸い取られていると感じているだけなのだから。お節介で、真剣に家庭の話を聞いていた私のせいだ。他人のことなんて、私にはどうにもできないし、どうかしてほしいなんて思ってはおらず、話を聞いてくれれば誰でも良いのだと思う。

 

時すでに遅しで、男性の事が苦手になってしまった。

一方的に家庭の話を聞かされて迷惑だと思っていたが、こちらも聞く体制でいたのだから仕方がない。原因は私にある。

 

自分軸をしっかり持って、周りからの影響は受けないように、自分を大切にしたい。

 

明日も、お気に入りのシュシュをつけて、しっかり自分を守っていこう。

コロナ予防接種予約代行

75歳以上の方のコロナ予防接種

私の住む地方都市でも、数日前に対応可能な医療機関の発表が、自治体のホームページと、新聞に掲載された。

 

Aコールセンター又は予約サイト

Bかかりつけの方のみ直接病院で電話予約可能

 

と、医療機関ごとにA.Bと対応が分かれていた。母のかかりつけ医はAだった。

 

報道で知る限り、コールセンターはまず繋がらないだろう。

予約受付当日、私は仕事であり、スマホ操作ができない可能性もあり、念のため、母にもスマホ操作からレクチャーした。

 

予約サイトを開き、接種券の番号と西暦の生年月日、名前などを入力し、マイページを作成する。

マイページから、希望の医療機関名を入力し、カレンダー表示の希望日をクリックし、希望時間帯を選択。1回目を確定し、3週間後の2回目の予約も同様に操作。

なんて、後期高齢者となる母に理解してもらうのは難しく、サイトにさえ行きつかない。

 

私は勤務先からサイトへ、母は自宅からコールセンターへ、先に予約が取れた方から連絡する作戦とした。

受付開始時間ジャストにサイト接続に成功し、無事に2回分の予約完了。

母へ連絡すると、やはりコールセンターは繋がらなかったらしく安堵していた。

 

「ワクチン打ったからといって、かからない訳ではないから、気をつけてね。」

と念を押す。

 

その日のニュースで、高齢の一人暮らしの方は予約方法が分からず、打つのを諦めようという方も多いため、町内会が団地の一角で予約代行を始めたという報道があった。

 

予約開始2日目。

勤務先に着いて早々、1人暮らしの女性からの電話。要件は話されず、「とにかくきて欲しい」とのこと。

 

訪問の合間にお邪魔すると、コロナ予防接種予約をかかりつけ医にしに行ったが、病院から息子かケアマネに頼むように言われたとのこと。その病院はBの表記だったが、自治体のミスでAだったらしい。

 

「息子は忙しいし、分からないだろうから、あなたにお願いしようと思って。」

 

個人情報を入力するため、諸々何度も確認し了承を得て、自分のスマホから予約代行を行う。

 

「ありがとう。本当に良かった。こんなの分からないものね。」

 

前日の母の予約がシュミレーションとなったが、初見では難しいかもしれない。このようなケースがこれから益々増えるだろう。

 

あるケアマネさんは、受付開始当日の病院窓口にて、B対応の病院らしく、受付では、電話の問診にかなり時間を要しており、外来患者さんが支払いの際に、じゃ受けようかなと、軽いノリで依頼されるなど、通常業務に支障を来すほど、病院側もかなり対応に手を取られており、先行きが不安だと言われていた。

 

あるデイサービスの管理者は、予約は家族の責任でするもの。もし、こちらが代行して何かあったら責任問題。認知症の方は自己判断も難しい。と言う。

 

ある遠方のご家族からは、そちらで対応してくれると思ってましたが、私がしないといけないのですか?と電話越しに喧嘩腰。

 

何かあった際の責任問題。自己防衛も必要。

一方、家族が遠方で、コロナで帰省も叶わず近隣に身内もいない方もいる。もちろん、本人、家族の了承を得て希望された際には予約代行させていただこうと思っている。

 

接種を希望しない方もおり、強制でもない。

 

主治医がいない方は?

接種会場へは、誰が送迎する?

 

待ち望まれたワクチン接種だか、いざ始まると、様々な課題が見えてくる。

 

誰がしてくれるの?

責任の所在は?

もっとこうすれば良いのに。

このやり方じゃ、おかしいよね。

お年寄りができる訳ないじゃない。

 

そんな意見が出てくるのも分かるが、今この状況で、最善策を見つけて、個人単位でもできることをするしかないと感じている。嘆いたところで、何も変わらないし、時間は容赦なく経過してゆくのだから。

 

一つ気にかかるのは、大抵の方は一刻でも早くワクチン接種をしたい、我先に予約しなくてはと躍起になっているように見えて、冷静さを失い、集団心理に翻弄されているような気がしてならない。もちろん、接種の是非は私には分からないし、自論を展開するつもりもない。

 

外出自粛も続き、家でテレビを見る機会が増えることで、報道に左右され、過度な不安に陥ってしまうのは実感としてある。

 

今は、前に進むより他ない。